創業と歴史

代表あいさつ

はじめまして。

当社、ホームページにお越しいただきありがとうございます。代表の谷中 均です。

当社は、業界の中でも特異な性質の企業です。

弊社のお客さまは、株式会社ヤナカは、何屋なのか?と、戸惑う方もいらしゃると思います。


壁紙屋・・? 電気屋・・?  家具屋・・?  工事屋・・?

内装材料問屋・・?  メーカー・・? カーテンショップ・・?

と、ご購入いただいているお客様によって認知は違います。

弊社は創業当時は、襖、襖の骨、引手などの卸から事業がスタートし

壁紙、カーテン、カーペット、ブラインドなどのインテリア資材の卸、

内装工事、そして、店舗の照明管球を全国に宅配するサービス、

美術館や展示会の資材メーカーとして長年、事業を営んできています。

一見すると、「何でも屋」に受け取られますが、

実は、お客様と一緒に問題解決に取り組んでいる内に多くの

商品と企画開発を手がけるようになりました。

私たちには、「何々屋」と云う概念は在りません

お客様が

「こんなの無い?」

「こんな事、困ってるんだけど!!」 

「これ不便なんだよ!!」

「こんなの作れない!!」

の声をお聞きしサービス・商品・流通をご提供させていただいています。

そして、「熱意こそ、最大のお役立ち!!」をテーマに「期待満載企業」

として、お客さまの潜在的・顕在的ニーズにお役に立てる企業を目指しています。

 

創業と歴史

株式会社 ヤナカは、昭和32年、1957年に創業者の谷中紀則が23歳の時に

個人商店として商いを開始しました。
戦後の混乱の中、12歳で丁稚(でっち)奉公に出て、約10年の月日を経て若くして起業したのです。
丁稚奉公のきっかけは、祖父母の一言だったそうです。

 

エピソード1

祖父(谷中よしまさ)が疎開先の田舎に居てもしょうがない、東京へ行って仕事をしなさいと

祖父母(谷中みつ)の知人の紹介で丁稚が決まったそうです。

決まった理由は、知人の方が『みっちゃんの息子なら大丈夫だから』とのことでした。

 

祖母は、まじめで働き者でした。髪結いをしていたそうです。

祖父母は、関東大震災と太平洋戦争で、2度もすべての財産をなくし、戦中は祖父が経営していた

鋳物工場も軍に国の資源不足から強制没収され3度目の苦境に立たされたようです。

そんな中でも、6人の子供を育てました。

 

みつは、よくこんな言葉を言っていたそうです。


その言葉とは、
『上を見て進め、下を見て暮らせ』


このような気持ちが人生を前向きに進み困難を乗り越えた原動力だったんだと思います。
谷中みつの父親(谷中吉平)は、足尾銅山の古河社長からその仕事ぶりと信念の強さで
『うちに、こんな立派な社員がいたのか!!』と言わしめた人だったようです。

 

そのエピソードとは、
ある日、社長から許可証の無い者は何人(なんびと)とも銅山の門をくぐらせるなと指令が出ました。


数ヶ月後、社長が銅山に視察に来た時のことです。全員が門を素通りしようとした時に吉平は、
許可証の提示を求めました。しかし、側近も幹部も社長も許可証を持っていなかったようです。
側近が『社長である。通せ』と。


すると吉平は、

『許可なきものは、何人(なんびと)たりとも通すな!との命令です。
『社長であろうとも例外は許しません。許可証をご提示ください。』

 

側近は、『馬鹿なことを言うなぁ!』と激怒したそうですが、吉平は、頑として譲らなかったそうです。
そのやり取りを見ていた社長が『私たちが間違っている、東京に戻り許可証を持って来よう。』
そして、東京へ戻ったそうです。

 

その時の社長の言葉が先の言葉でした。

この話は、後日側近から吉平にお褒めの言葉として伝えられたようです。

 

エピソード2

谷中紀則は、起業のきっかけとして次の様な想いがあったようです。


丁稚奉公に入り何年かした時に、実家にやっと帰省できる機会がありました。
実家(仮住まい)はその当時、愛知県の常滑(とこなめ)にあったようです。

 

実家に行くと,

トイレも台所も釘打され、家族は冬なのにゴザで寝ていました。
生活が困窮して家賃が払えなかったからです。
味噌や野菜を買うお金もなく雑草を海水で煮て食べていました。

 

その原因は、紀則の姉が難病で、お金はすべて医療費に費やし、生活するためのお金がなかったようです。
その光景を見た紀則は、何とかしなくてはとの思いで働きました。

残念ながら姉は亡くなられました。

小学校しか出ていない紀則は、弟や妹には教育を与えないといけない、それには、一生懸命に働くこと・倹約すること。
靴下も買いませんでした。

 

そして、皆が、兄弟が、自分の力で自分の人生を切り開ける。

そんな会社を作りたいという想いに至ったそうです。

 

創業時は、弟妹も一緒に働いていました。

 

エピソード3

ある夜、奉公仲間と玄関の土間で寝ていると電話が鳴ったそうです。

ちょうど紀則の頭の上に電話があり、その電話を取りました。

『夜中に悪いね、お宅の商品ではないんだけど、これに似た商品あるかな?』
大手百貨店の責任者の方からでした。

『もしあれば、今欲しいんだけど持って来てくれる?』
『はい、あります!これからお持ちします!』
『本当かい?ありがとう!助かるよ!』

数時間後、無事に届けたようです。

そして、床に入り寝ようとしたところ、また電話が鳴りました。同じお客様からでした。

『申し訳ないけど追加が出て、またこれから頼まれてくれるかな?』
『承知しました!これからお届けに伺います。』
『たびたび悪いね!』

 

そして、2度目のお届けをした時に、
『2度も悪かったね。しかしどうやって届けに来てくれたんだい?』
『はい、歩いてきました!』

当時の会社は下谷だったそうです。
『そうかい、大変だったね!帰りはタクシーで帰りなさい。』
そして、お金を渡されたそうです。


何度も断ったそうですが『いいから、いいから』と押し切られてしまったそうです。
そして別れ際に、『明日、旦那さん(社長)を連れてき来なさい。』

翌日、昨夜の出来事とお客さんからの伝言を伝えたそうです。
その日に旦那さんと共にお客さんのところに行ったそうです。

紀則はドアの外で待たされていたようです。何の話か気になったようですが・・・・


そして旦那さんが出てくると・・・・
「立派な店員さんですね、そういうお店とは安心して取引できる。今後はお宅の商品を全面的に使うようにする」と言ってくれたよ。』

そこからシェアが大きくなったそうです。


ちなみに、その責任者とは後の有名デパートの社長になった方でした。
当時は、まだ宣伝部の責任者でした。

 

 

エピソード4

独立した当時は、お金も信用も無く商品は全て現金で前払いで仕入れていたようです。
当然、お金の回収は掛け売りなので商売をするのに苦労が多かったようです。
商品を売りたくても仕入れるお金が無い、こんな日々が何年も続いたそうです。


そんな中、ある人に偶然会った時
『やっちゃん(紀則)、商売はどうかね。』
『はい、一生懸命やっております!!』

そして色々と話を聞いてくれたそうです。


するとその方が、
『君のことは丁稚の頃からよく見ているよ。』
『自分が売れると思う物は、お金は後でいいから好きなだけ持って行きなさい。』と言ってくれたそうです。

それをきっかけに商売が徐々に大きくできるようになり現在に至ります。

創業者である父は、ある日こんなことを私に話した事があります。
丁稚の頃に、いつも未回収の取り立て、難しい商談、新規の開拓、商品の開発。
要は、困難な事ばかり命じられた。言葉には出さなかったが内心、

いつも自分ばかり難しい仕事を命じられる先輩達がいるんだから彼らにやらせればいいのにと…

しかし、ある時に気が付いたそうです。

あの困難が経験があったからこそ今の自分があるんだと。

いつかは経験すべき事を10代で経験させてもらって有り難いと。

私たちは、これらのエピソード・教訓を生かす必要があります。
そして、ヤナカのイムズの原点は、このエピソードに見る事ができます。

ダイヤはダイヤで磨かれる

人は人で磨かれる

嫌だ、嫌だといくら逃げても経験すべき事は必ずやってくる。
自ら困難に立ち向かった人が先に行く。

できるかできないかではなく、一生懸命に無我夢中に取り組んでいる人にしか応援してくれる人は現れない。

 

どうやら、人生とはそういう仕組みになっているようです。

60年前に目指した未来は今も進行中です。

 

代表取締役社長 谷中 均

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